無力・脱力

何だかわからないが、7時半のアラームが鳴る前に目が覚めて粛々とゴミ出しを済ませる。
面倒だし母に気を使うこともないので、パンとスープで適当な朝食。
動かなければと思いつつも、やはり気持ちの問題か二度寝してしまった模様。
家の電話のコール音で目覚め、1コールで切れたのであれ?と思って携帯を確認すると姉からだった模様。
もうすぐ到着するということで、私も自分の身支度をサクッと整えた。
大体荷造りは終了していたのだが、姉のチェックで少し足したり引いたり。
姉が午後余り長くは居られないので、急いで行動開始。
まずは区役所へ行き、国民健康保険の限度額適用認定証を申請。
朝のうちに(二度寝前に)電話で確認していたおかげで、迅速に手続き完了。
物事は仕込みが大切だということを、今更ながらに実感。
なんともありがたいことに病院までは徒歩圏内なので、すぐに移動して到着。
救急部の病室なので一手間かかるのだが、幸か不幸か色々慣れているのですぐに入室。
母と対面、状態は昨日と変わっていないようだった。
看護師さんにいくつか確認、大体想像通りの内容である。
12時半に医師から説明があるということで、そちらに移動することに。
待ち時間に姉と色々話すが、まぁ景気の良い話にはなるわけもなく。
大体時間通りに呼ばれて診察室へ、担当は巡り巡って乳癌が見付かった時の主治医だった。
既に大筋の説明が済んでいることは知っているようで、核心から話を始める。
簡単に言ってしまえば、あとは静かに見送るだけということだ。
少しずつ心の準備はしていたつもりだし、昨日の話でわかってはいたがこうはっきり告げられると流石にめげる。
数日中に云々ということはないはずだということだが、どれだけという話もできないと。
以降延命処置についてなど話して、昨日の流れ通りそのまま送るということになった。
経緯など色々話したのだが、この状態でどうやって自宅で生活していたのかと驚かれた。
良く頑張ったと声をかけられたわけだが、私自身は自分の無力さに絶望していた。
一つだけ良いことといえば、母が苦痛などを感じていないであろうこと。
そして、恐らくはそのまま逝ってくれるであろうこと。
その他いくつか言葉を交わして、説明終了と相成った。
病室に戻ったが、病棟に移るのはまだまだ後ということだった。
このまま居ても、母と話せるわけでもない。
また救急部の病室ということで、なんとなく居ることで迷惑をかけそうな気がしたのは姉も同じだったようだ。
結局、13時過ぎには撤収することとした。
昨日通所先から搬送されたということで、車椅子と着替え等一式を預かってもらっていた。
近所なので、そのまま歩いて施設まで。
心配されていたわけだが、全てを告げる気にもなれず礼を述べて荷物を回収して退出。
どうしようかと思ったが、結局地下鉄で三田まで戻ることにした。
主のいない車椅子を押している状況が、なんともいたたまれない。
車椅子と荷物を置いて、ちょっと遅めの昼食を姉と。
当然色々と話すわけだが、もう前提は決まってしまったので先を見てのことを。
私自身のことも心配されたりしていて、その辺も少し。
食べ終わって姉を田町まで送り、私は帰宅。
ぷっつりと緊張感が切れてしまって、何をする気にもなれず。
音楽だけは掛けてみたものの、耳に入らない。
出来たはずのことをしなかったこと、母に対して辛く当ったこともあったことなど後悔が渦巻く。
柄にもなく涙が止まらなくなり、しばらくで泣き疲れて眠ってしまったようだ。
電話のコール音で目が覚めて、出てみると伯母からであった。
既に叔父から情報が行っていたようで、様子を聞かれたのできちっと伝わるよう気を付けて話した。
その後件の叔父にも連絡、話はできないということをわかった上で明日顔を見に行ってくれるとのこと。
両方で私の心配もされていたのだが、なんだか申し訳ない気持ちにしかならず。
何をする気にもならないわけだが、一応お腹は空くようでパスタを。
食べたあとはまた脱力モード、しばらくは何もできなかった。
明日は昼過ぎに病院に行くつもりなので、ゆっくり寝ておこう。
とはいえ、安眠できるとも思い難いのだが。

2010年3月 9日 44x1 | コメント(0)

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